『月読|つきよみ』 第二篇
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第二篇|素月|そげつ
浄化
受け取ったもののすべてが、自分に必要なものとは限りません。
第一篇「月輪」では、
感受すること。
自分の中にあるものへ、まず静かに耳を澄ませることから始めました。
感じることができたからこそ、次に見えてくるものがあります。
それは、
自分の中で、何が流れを止めているのか。
ということです。
第二曲「素月」に込めたものは、
浄化。
浄化という言葉から、何かを洗い流したり、悪いものを取り除いたりすることを想像するかもしれません。
けれど最近、
浄化とはもっと静かなものなのではないかと感じるようになりました。
私たちの心には、いつの間にか小さな引っかかりが生まれます。
言えなかった言葉。
納得できなかったこと。
誰かへの思い。
自分自身への違和感。
すでに終わったはずなのに、どこかに残っているわだかまり。
ひとつひとつは、ほんの小さなものかもしれません。
けれど、それらを抱えたままでいると、
知らないうちに自分の中を流れている力までそこで立ち止まってしまうことがあります。
前へ進みたい。
何かを生み出したい。
もっと力を出したい。
そう思えば思うほど、さらに力を加えようとしてしまう。
けれど本当に必要なのは、
新しい力を足すことではなく、
すでにある力を妨げているものを、ほどくこと
なのかもしれません。
心の引っかかりがひとつほどける。
わだかまりが消える。
握りしめていたものを、もう握らなくてもいいと気づく。
すると、
それまでどこかで堰き止められていたものが、少しずつ流れ始めます。
不思議なことに、
力をつくろうとしていないのに、力が戻ってくる。
前へ進もうとしていないのに、自然と身体が動き始める。
何かを無理に生み出すのではなく、
流れが戻ることで、エネルギーが生まれ始める。
浄化とは、空っぽになることではないのだと思います。
むしろ、
自分の中に本来あった流れへ戻っていくこと。
月もまた、満月を過ぎて少しずつ光を手放しています。
けれど、
月そのものが小さくなったわけではありません。
ただ、
見えていた光が減っている。
何かを失っているように見えながら、月は何ひとつ失ってはいません。
私たちも、少し似ているのかもしれません。
手放すことで自分が減るのではなく、
余分なものが離れることで、
本来の自分の輪郭がもう一度見えてくる。
月輪|つきのわを制作するときも、最後まで難しかったのは、
何を足すかではなく、
何を残すかでした。
音を減らす。
光を抑える。
言葉を削る。
余白をつくる。
そうして一つずつ取り除いていくと、
何もなくなるのではなく、
むしろ奥に隠れていたものがはっきりと現れてきます。
素月。
飾らない月。
何かを付け加えることで美しくなるのではなく、
余分なものをまとわず、ただそこにある月。
「素月」という音に込めた浄化も、
何か別の自分になるためのものではありません。
心に重なっていたものを少しずつほどきながら、
本来の静けさへ還っていくための音。
だと考えています。
力がないから、生み出せないのではない。
もしかすると、
その力が流れる場所に、まだ何かが引っかかっているだけなのかもしれません。
無理に押し流さなくてもいい。
まず、
それがそこにあることに気づく。
そして、
もう必要のないものなら、静かに手を離してみる。
月が光を手放すように。
すると、その余白へ、
これまで見えなかったものが少しずつ入り始めます。
離れていた出来事。
何気なく耳にした言葉。
偶然のように現れる、小さな一致。
浄化によって余白が生まれたとき、
私たちは初めて、それらの響きに気づくことができるのかもしれません。
次の月は、
月華|共時。
余白の中に現れる、小さなつながりを読んでいきます。
02|素月|そげつ
浄化
受け取った光が、心の奥へ静かに満ちてゆく。
重なっていたものがほどけるように、本来の静けさへと還ってゆく。
「月輪を迎える」
九つの響き
月輪|つきのわ全9曲の響きを、こちらからご覧いただけます。
「九つの響き|全曲プレビュー」



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